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&No.20 ハッダ出土の経典(阿含経)

ここで言う『長阿含経』とは5世紀の初めに漢訳された『長阿含経』でして、その原典は法蔵部に属していたと推論されていますが、この漢訳『長阿含経』とほぼ合致する部分とその注釈がこの写本の中に発見されました。ノウハウを見習ったという阿含宗は、密教系新興宗教として始まったが、宗祖が伝法灌頂を受けていないことから、元始仏教の「阿含経」から宗名をとって批判をかわしている。



阿含経とは
阿含経 (あごんきょう、又は、あごんぎょう:agama (sanskrit, pali))とは、初期仏教の経典であり、「阿含」の語源は、サンスクリット・パーリ語の「アーガマ」の音写で、伝承された教説、その集成という意味である。
釈迦入滅後、その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子達によって、何回かの結集を経てまとめられ、経蔵(sutta-piTaka (pali))を形成した。
経蔵は、それぞれ阿含または部(nikaaya)の名で表示された。
中部 (majjhima-nikaaya) 中阿含経-中編の経典集。
相応部 (saMyutta-nikaaya) 雑阿含経(ぞう-)- 短編の経典集。
増支部 (AGguttara-nikaaya) 増一阿含経(ぞういつ-)- 法数ごとに集められた短篇の経典。
小部 (khuddaka-nikaaya) -法句経(ほっくきょう)や本生経(ほんじょうきょう)など。
中国においても、原初的な経典であることに気付いており、研究を行った記録もあるが、大勢を占めることはなかった。
漢訳の阿含経は、パーリ語の物からの翻訳とは考えられない形跡がある。
更に、パーリ語のニカーヤは、その名の通り、部派仏教の部派にそれぞれ独自に伝えられており、少なからず異動がある。
現在、残存しているパーリ語経典よりも、漢訳の阿含経の方が古い形態を残していると認められる事がしばしばある。
また、釈迦の言葉を直接伝えているので、インドの密教時代から真言として使用されて来ている。
また、因果についてもこの経典では述べられているが、毒矢の例えでいわれているように現在の生き方を中核としてとりあげていて、霊そのものや死者が死後どうなるかなどこの世にあらざる物を中核として取り扱うことはこの経典ではしていない。


ブッダ悪魔との対話―サンユッタ・ニカーヤ2

岩波書店 刊
発売日 1986-12